2016年04月

「もう何よ~およしになって~、そんなに強く引っ張らないで~ん。」

1限後の休み時間。
無理矢理香川を教室から引っ張り出し、人気のない最上階の廊下端まで連れ出す。

「も~う、強引なんだから~。」
「カマ口調やめろや。」
「きっひひ。」

嬉々としておどける香川にイライラが膨れ上がるも、今はそれどころではない。

「…どうして分かった。」

周囲を気にしながら、独り言安利傳銷の様なか細い声で問う水野。

「あ、やっぱりノーパンだったんだ。」

当たりくじを引き当てた子供のような笑顔を咲かせる香川。しまった、シラを切れば良かったものを。しかし、もう遅い。

「いや~さ~。プール終わった後の着替えの時さ。ど~もソワソワしてるな~おかしいな~と思ってさ。で、観察してたわけ。」
「俺を?」
「そ。」
「…キッモ。」
「きっひひ。」

香川にキモいは褒め言葉だ。ガソリンだ。

「んで見てたんだけどさ。まずラップタオル巻くでしょ、中で海パン下ろすでしょ、足から抜き取るでしょ。
 ここまでは普通だったんだけど、そのあと急に1人でキョロキョロし出してさ、落ち着かないわけ。
 普段なら田村とか小出とかと仲良さそうに喋りながら安利呃人着替えるのにね。
 いつも楽しそうだよね~僕も混ぜてほしいな~。
 あ、どうでもいいけど海パン脱いだあとはもっとチンチンとケツ、ちゃんと拭いた方がいいよ。蒸れちゃうから。」
「黙れ。」
「きっひひ。
 んでその後さ、菅谷がタオル忘れたーとか言って、フルチンで着替え始めたじゃん?当然みんな菅谷に注目してさ。
 そこで、今だ!と思ったんでしょ~?
 んでも残念でした~。僕は水野を見てました~。
 プールバッグからサッとハーパン出してさ。めっちゃ高速で履いたよね。
 ハーパン、パンツじゃなくて、ハーパン。きっひひ。」
「…キモ過ぎ。」
「分かるよ~うんうん。
 プールが1限だとついつい家で海パン履いてきたくなっちゃうよね。
 でも、ちゃんと着替え用のおパンツも持ってこなきゃ、ダ・メ・だ・ぞ☆」
「……。」

見事なまでの洞察力と考察力に、ぐうの音も出ない水野。
キモい、ぐらいしか反論の言葉が浮かばない不利な状況に憤りを覚える。

「…誰にも言うなよ。ぜってーだぞ、言ったら殺すかんな。」

ノーパンだなんてことが安利傳銷バレたら、クラス中から笑いものにされるに違いない。
女子からは変態扱いされるかも分からない。
誰かがふざけて脱がしにかかってこようものなら…、想像もしたくない。
地獄だ。

そう遠くない内に鬼籍に入る身と思うからだろうか、最近「妖怪」に親しみを覚えるようになった。そこで「図説百鬼夜行絵巻をよむ」とか水木しげるの「決定版日本妖怪大全」を手に入れて読み始めた。そこで分かったことだが、妖怪はもうかなり前から人気者になっていることを知った。矢張り、高齢化社会になったせいなのだろうか?

元々は、怪談物は好きではなかった。特に化け猫物は大嫌いで、本物の猫も嫌いである。化けるのはいい。化け猫の化け方が自分を可愛がってくれた主人が非業の最後を遂げ、その敵を討つために化けて出るなど烏滸がましい。忠犬ハチ公のように主人が死んだ事も分からず、待ち続ける健気さが良い。
幽霊は人が怨みを遺し、成仏できない魂が「恨めしや…」と云って出てくる。江戸時代になって世の中が比較的に平和になって、割に合わない死に方をすると無念が残る。武士階級には敵討ち(身内を殺した相手を討つ)とか妻敵(妻の姦通相手を討つ)とか云うのがあったというが、実際は現実に敵を討つとなれば大変なのでお金でケリを付けていたという。一方、理不尽に殺され何の落とし前も付けられないことも多かったので、化けて出ることで憂さを晴らしたのだろう。幽霊画が浮世絵師によって描かれ結構売れたようだ。浮世絵師の幽霊は風情があっていい。どことなく愛嬌がある。化けて出るにしても幽霊になって出るにしても、非現実的な表現である以上、人に受けなければ意味がない。出るなら愛嬌なり風情が欲しい。

しかし戦後の人たちは物語や映画などで「恨めしや!」では恨みが晴れないと思い、本当に「仕置き」をしてくれる必殺仕置き人なる家業を創作して憂さを晴らすようになる。非現実的で非合法な怨みの晴らし方だから、奇想天外な方法や、キャラクターの組み合わせの面白さで殺し屋に化けて出る。
愛嬌や奇想天外な方法で非現実的であっても恨みを晴らす為に人を殺すドラマはやはり限界がある。現実に19世紀から21世紀にかけてどれだけ多くの人が理不尽に殺されて来たか。地球上にその人たちの恨み辛みが漂っている。
妖怪は非人間にも魂があると訴えているのだ。特にアミニズム信仰の日本にあって全てのものに精霊が宿ると考えてきた伝統的な精神が生み出したものが妖怪である。ものを大事にしない、大地や自然、生きとし生きる物全てを敬い大事にすることの大切さを訴えてひょっこり出てくる。そこが魅力なのだ。
室町時代の土佐光信筆の「百鬼夜行絵巻」は実に魅力的である。前に琵琶の妖怪を紹介したが、最近手に入れた「かわいい妖怪画」という本の最後のページに「本書のコピー、スキャン、デジタル化等の複製は著作権上での例外を除き、禁じられています。」とあり、画を紹介すると著作権法と云う化け物が出てくるかもしれないので省略します。

タイムリープ…タイムトラベルと異なり、自分が過去や未来に行き来できるわけではなく自分自身が過去の自分に遡ることを言うようだ。つまり、この女の子の言うタイムリープが本当なら大人の男のだったオレが高校生に戻っていてオレが大人の時の記憶を持っているものだと勘違いしたのだという。

本当にそれは未来のオレなのか、確認したかったが確かに男の名前は星宮道幻(ほしみやどうげん)…オレ自身らしい。

大人のオレって言ってもいくつくらいなんだろう。何年タイムリープしたんだ?女の子は少し考えていたが、店のウエイトレスが注文を取りに来て一時会話は中断された。

オレはアメリカンコーヒー、女の子はミルクティー、2人で食べれるようにサンドイッチのセットを注文した。

しばらく無言と気まずい雰囲気が続いたが、注文した飲み物や食べ物がテーブルに届けられ、ひと呼吸おいたところで女の子が話し始めた。
「まずは自己紹介からします。ボクの名前は加持マナセ…巫女の家系で星空を守る一族の末裔です。タイムリープの儀式は本来禁呪ですが、道幻さん…がアクシデントで星守りの鬼に魂を切られてしまってタイムリープして命を繋ぎました。タイムリープした時間は5年ほど…でも儀式をしたボクと道幻さんには時間の誤差が生じたみたいでボクは半年早めにタイムリープしています。ボクと道幻さんは6歳年齢差がありましたが今は1歳差です。道幻さんの妹キアラさんはボクより年下になっていました。」

やっぱりオレは一度死にかけたのか…腹の大きな傷跡はその時のものだろうか。タイムリープは5年…。たいした年数ではないが、この女の子からするとの時差があるらしいから大人の男だと思っていたオレがいきなりたいして歳の差のない高校生になったというわけか。
っていうか5年後のオレはどうしてこんな若い女の子をパートナーにしてるんだよ?もしかしてロリ…と自分自身の悪口を言いそうになったが話から察するとパートナーっていうのは恋愛関係を指していたわけじゃないらしい。セシリアもキツネの名前だったし、安心したようなガッカリしたような。

「あのさ…なんかさっき図書館で雪夜の言う通りにしたって言ってたよね?雪夜も儀式に関わってるの?」
あのあやしい雪夜の態度は何か隠し事をしているオーラが漂っていたし、アイツがタイムリープの儀式の主だと思ったが…。
「儀式はボクと雪夜さんの2人で行ったんですけど、年齢も記憶も維持してタイムリープしたのはボクの方で雪夜さんは道幻さんと同じで記憶があるかどうかよく分からないんです。完全にタイムリープが終わったら雪夜さんが若返っていて儀式台から姿を消してしまって…。ボクのことを覚えているかどうかも分かりません。フェネックキツネのセシリアはタイムリープと関係ない時間軸にいるとかで全部話を聞いてくれて助かりました。」

キツネにはタイムリープは効かないのか…。それってそのキツネが神とか何かそういう部類の生き物なだけなのではないだろうか。
キツネはともかく問題は雪夜だ。
「雪夜はそんなにお人好しじゃないし、オレの命を助けるためにタイムリープするとは思えない。たぶん、記憶のある状態で若返りたかっただけなんじゃないのか?」
「…雪夜さん、人気急上昇中のIT企業の若社長ですごく順調だったみたいですよ。違法ギリギリの活動もされていたみたいですけど…。」
「雪夜がIT企業の若社長…あの中小企業、本当に雪夜が継いだのか…しかも急上昇って…。」
「もう未来には戻れないみたいなのでこのまま普通に生活するしかないってセシリアにも言われたんです。だから雪夜さんが本当にこの先IT企業の若社長になるかも分からないし、道幻さんが星守りの鬼に切られる未来は、もう来ません。ゴメンなさい。未来の記憶がなくても道幻さんはこれから幸せになってくれればボクはそれでいいです。道幻さんは命の恩人だから…。」
(天元推理学第10話)

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